クッキー工房ガネッシュ郡山

オーナーのらくがき(4)

LPレコード

近年、LPレコードが復活し、新譜のプレスが右肩上がりで伸びている。1982年にCDが発売されてからは、LPはCDに居場所を奪われ、21世紀に入る頃にはCDがオーディオ界を席巻していた。私のようにLPしか聴かない者は、シーラカンスだの、前世紀の遺物だのと、CD派からは嗤われて来た。
 しかし、現在はLPの新譜が対前年比で毎年伸び、2010年と2018年とを比較すれば、10.6倍になっている。それにひきかえ、CDアルバムの生産量は、10年と18年の比較で57%まで落ちている。これは配信で音楽を聴く者が増えたためで、CDのスペックでいいなら、配信で十分ということになり、割安な配信に市場が流れたからにほかならない。最近はハイレゾとかいうCDよりも高スペックの音源が出て来たので、ますますCDは廃れて行くことだろう。
 なぜLPなのか。それは最も音楽らしい再生音を聴かせてくれるのがLPだからだ。CDが出た当初は、弦の音を聴けば、すぐにCDだということがわかるほどだった。しかし今は、CDも録音技術や周辺のハードウエアにかなりの進歩が見られ、同一音楽ソースをLPと同時比較しない限り、LPとの違いはわからないほどになった。このことは喜ばしいことだと言える。
 私がCDを買うようになったのは、車の再生装置がCDオンリーとなってしまったためだ。それまでは、車ではカセットテープで聴いていたのだが、それが出来なくなったので、やむなくCDを導入した。2013年頃のことだ。リスニングルームにもCDプレーヤーを入れた。CDの利点は、冬の室温がまだ上がっていないときでも、気兼ねなく音楽再生ができることだ。私がLPを聴くときには、室温を15℃以上に上げないと聴かないことにしているので、大変便利なアイテムとしてCDを聴いている。
 とはいえ、私が愛聴するものはLPレコードであり、CDではない。理由はいろいろとあるが、軽薄短小なCDは、手にとっても心躍るものがない。レコードジャケットの方形の世界の存在感は、CDのサイズからは全く感じることが出来ない。ジャズレコードには優れたデザイン、斬新なデザインのものが多いが、そのジャケットを手にして美しさを感じ取ることが出来るのは、30cm四方の大きさがあればこそのものだと思う。音楽を聴くときには、傍らにジャケットを飾り、それを眺めながら聴かなくては楽しくないだろう。
 そんな外側のことよりも、音質について語らねばなるまい。弦の再生音の瑞々しさ、そしてピアノなどのアタック音の力強さなどは、LPでなければ聴くことが出来ないものがある。最近はCDの音もだいぶ向上しているので、単独で聴いてみてLPかCDかを判断するのはかなり難しい。とはいえ、両者を聴き比べてみると、やはりLPに軍配が上がる。これは、CDに入っている音は20~20000Hzという限られた周波数(SACDはもっと帯域が広いが)だからだということも大きな原因だ。人間の耳で聞き取れる音は、上記の周波数だからこれで十分と言うことらしいが、人間は耳からだけではなく、皮膚からも骨からも音を感じている。これを無視して論じてはいけないと思う。耳の特性と商業的な妥協でCDのスペックを決めてしまったので、未だにCDはLPの音に追いつくことが出来ない。
 そしてまた、このことは再生音に魂が入っているか否かの問題なのではないだろうかとも思う。溝に刻まれた音楽振動を針で拾い、電気信号に変えて音楽を再生するのと、音楽をデジタル符号に変え、再びアナログ信号に変換して音を作るのとでは、後者はその過程において、音楽の魂を欠落させているように思える。一旦デジタルに符号化することにより、とても大切な情報を失っているように思えてならない。このような感情論でモノを申しても、説得力はないだろうが、デジタル処理の世界は、音楽信号を0と1に符号化して、AD→DAコンバーターを通さねばならず、このことに問題が潜んでいるのではないだろうか。だから、SACDのようにスペックを上げたCDを開発しても、LPのように魂の入った音、力強く音楽性豊かな音は、十分に再生できないのではないかと思うのだ。
 レコードの原理を発明したのはエジソンだ。1877年のことだという。針先で音を振動に変えて溝を掘り、その溝をトレースすることで元の音が再現できる。このような単純なことを140年以上も以前に開発し、その原理が今でも生かされて生き続けることを思うと、何とエジソンは偉大なのだろうと思う。LP再生の規格(RIAA等)は将来も変わらないだろうし、数百年を経ても現在のレコード盤は再生可能な筈だ。
 デジタルはアナログの音を目標とし、様々な規格のものが開発されているし、今後も開発され続けられるだろう。しかし、デジタルの規格が変われば、そのプログラムソースは再生不能となる。また、CDやDVDなどのディスクは保存性、耐久性に問題がある。CDは数十回の再生で音飛びや短時間のフリーズが発生する。DVDも同様で、数十回の再生で画面にモザイクが出たり、フリーズを起こしたりする。これは、再生時にレーザービームでビットを焼くことにより、情報にダメージを与えるためと考えられ、気に入ったディスクほどダメになることを何度か経験している。よくレコードをCDに焼いて永久保存だなどと言う広告を目にするが、馬鹿も休み休み言えと言いたくなる。特にDVDは、数十年もすればその記録自体が消滅すると言われている。昔のフィルムをスキャンしてDVDに残し、フィルムは捨ててしまったという友がいるが、何という馬鹿なことをしてしまったのだろう。DVDに移しただけで画質は落ちるし、数十年後にはディスクの情報は失われてしまうかも知れないのに。
 LPは何度も再生すれば音溝が擦り減ると思っている人が多い。しかし、音溝に埃りなどが付着していない限り、塩化ビニールは針がトレースするときに変形はするが、すぐに回復し、元に戻るのだ。専用のクリーニング液と専用クロスで手入れしていれば、レコードは50回や100回の再生には十分に耐え得る。針に汚れが付着するではないかという意見もあろうが、それはレコードをクリーニングしていないことによる汚れだ。削られたレコードではない。微細な鉱物性チリで汚れたレコードは、耐久性が著しく落ちてしまうことも知っておくべきだ。丁寧にクリーニングさえしていれば、針先に汚れが付着することはなく、耐久性も保つことが出来る。未来に残す音楽記録媒体として、LPほどふさわしいものはないだろう。
 ま、耐久性の問題はこのくらいにして、趣味としてのLPレコードに話を戻そう。
 LPレコードを扱うことはなかなかに面倒だし、ずいぶん神経を使わねばならない。トーンアームひとつとっても、針圧を調整し、インサイドフォースキャンセラーやラテラルバランスを調整するなど、これらをきちんと仕上げるのは手間がかかる。また、レコードクリーニングの作業、針先にごみが付着していないかの点検、レコードをターンテーブルに乗せるとき、レーベルにシャフトが接触しないように気を付けるなど、かなりの気遣いも必要だ。しかし、私はこれらの動作のすべてが楽しくてしようがない。面倒だと思うようなら、その人はレコードを扱うことはあきらめ、CDか配信音楽でも聴いていればよい。
 手間暇をかけることにより、生活はどれほど潤いに満ちたものになることだろう。最近の世の中は、これに反する生活が良しとされているように思える。忙しいのに、手間暇なんてかけていられないというのがその理由らしい。しかし、それでは真に人生を楽しむことなんて出来はしない。珈琲にしても、自分で淹れずにコンビニで買った珈琲で間に合わせる。紅茶はティーバッグかペットボトルしか飲まない。食事はファストフードかコンビニ弁当で済ませる。撮影はスマホ、音楽は配信されたものをイヤホーンで聴く。手紙を書かずにメールを使ってオシマイ。このような日常を味気ないとは思いませんか。
 私は少なくとも、趣味の世界においては妥協したくはない。だから喫煙はパイプだし、フィルムカメラを愛用し、音楽はLPレコードで聴く。紅茶はリーフティーをポットで淹れる。ティータイムにいただくクッキーは、バターさえロクに使われない添加物だらけの市販のクッキーは拒否し、自分で焼いたものを食べる(今はこれを商売にしてしまった)。年末には、豚ロースの燻製を自分で作る。これも市販のもののように亜硝酸塩などの添加物は一切使わない。また、音楽を聴きながら茶を点ててくつろぐこともある。そんな生活をしてはいるが、最近は時間的余裕がなくなってきていているのも事実だ。でも、譲れないものは譲らずに生きて行こうと、もがいているのが実態かな・・・。
 最近のオーディオ界を見渡してみると、やたらと高額な製品ばかりが目につく。オーディオ製品のひとつひとつが、50万円や100万円を超えるものが目白押しだ。これでは若い人たちがオーディオを楽しむことが出来ないではないか。だから若者は配信音楽をイヤホーンで聴いて良しとしてしまうのだ。我々が若かったころは、少し無理をすれば手の届く価格で、コンポーネントを揃えることが出来た。機種も豊富で価格帯も様々だったので、順次グレードアップをする楽しみがあった。しかし今は、普及品レベルはスペックだけは立派だが、魅力に欠ける安物。その上を見渡せば、手の届かないような高額商品だ。これではオーディオ文化は廃れて行くのが当たり前ではないだろうか。
 私が使用しているオーディオは、ヴィンテージ製品がほとんどだ。しかしそれらは、とてつもなく高性能で、しかも耐久性に優れていて、何十年を経ていても音質の劣化さえ感じさせない。耐久性とは、立派な性能のひとつだと言える。私が持っていた国産の真空管アンプが、いかに故障が多かったことか。思い出すのさえいやになる。私のヴィンテージシステムは、故障さえせずに、現代の超高額な製品よりも素晴らしい音を再生してくれている。きちんとメンテナンスをすれば、60年前の米国製アンプも、50年前の英国製プレーヤーも問題なく使える。これらのことは、新潟の専門店「しなの音蔵」で教えられ、やがて私もフルメンテナスした製品をひとつずつ手に入れることが出来た。そして、その店に行くたびに聴かせて頂いた音は、私が目標とする音になった。私のオーディオ遍歴は、かなり遠回りをして、ずいぶんお金も使っていたが、「しなの音蔵」にたどり着いたとき、私の彷徨は終わった。
 店で聴かせていただいた音は、とにかく血が通ったリアルな音がした。最近のハイエンドオーディオの音と言うものを、オーディオフェアで聴いてはいるが、どことなく電気くさい音がする。周波数帯域も広く、歪率も低いのだろうが、結果として聞こえる音楽は、完璧に整備されたヴィンテージの方がリアルである。あのような本物の音を聴いたことがある人がどれほどいることだろう。高額な(敢えて高級なとは言うまい)現代の製品を揃えることなど全くない。良心的で、ヴィンテージのメンテナンスが完璧にできる技術者のいる店と出会えた人は、しあわせだと思う。しかし、「しなの音蔵」は、2019年3月で閉店してしまったのが残念でならない。本当に売りたい製品が入手困難になっているからと言うのがその理由だ。そこに行くたびに、いつもおいしい珈琲をいただき、私が尊敬する社長さんと二人でパイプをくゆらしながら、お話をして帰るのがとても楽しみだったのに。
   私もオーディオを始めて半世紀が過ぎた。現代の製品で魅力を感ずるものは何もない。手許には、マークレビンソンでさえも手放し、往年の銘器と言われるものばかりが残った。真に愛することが出来る機器たちと、音楽を供にできるしあわせな時間を過ごせるならそれでいい。今後もレコードと、私がたどりついた銘器たちをいつくしみながら、音楽を聴き続けようとと思う。
2020年1月記

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